うたかたの風(3)

うたかたの風<二十一>─夜の行方─

「トラップ!」
「あぁ、知り合い?」
 ノルは、彼にしては珍しく大声を上げた。
右肩にトラップを抱え、背中の方を通して左手でトラップの右腕を持っている男。
 その男はノルを振り返った。
金髪に、黒の目、野性的で、顔立ち。
 白いロングコートが、よく似合っている男。
彼は、重そうにトラップをかかえなおす。
「ちょっと、預かってくれないか?」
「あぁ」
 と、彼は左手一本でトラップをノルにさしだす。
 ノルは、眠っているトラップをおぶった。
「一緒に酒につきあってたら、眠りやがってさ・・・」
「そうか」
 寡黙なノルだが、他人から見れば素っ気ない大男にしか見えない。
が、男は気を悪くした様子はなく、ノルに続いて歩いていった。
「なにか?」
 少しして、ノルが男を振り返る。
「いや、一緒に酒を飲んだ中だし。少し心配で、ね」
 そう言われれば、優しいノルは何も言うことはできない。
ただ、今回の彼の優しさが。
 ある意味の吉となり、ある意味の凶となった。

「命を、ですか」
 困ったように、総司は呟いた。
「えぇ、命を」
 マリーナは、一歩、総司に近寄る。
彼女の手には、ショートソードが握られている。
「くれない?あなたの命」
「・・・断ります」
 総司は、首を振った。
マリーナは、また、一歩総司に近寄る。
「なら・・・」
 もう、一歩とない彼らの距離。
座っている総司、立っているマリーナ。
「奪ってあげる」
 瞬間、彼女の手がかすんだ。
続いて金属音。
 総司は、鞘でそれを受け止めた。
「奪わせませんよ、そんな簡単に」
「いいわよ、難しくったって」
 ザッ
総司は、はねるように立ち上がった。
 立ち上がった瞬間、マリーナのショートソードを受け止める。
「早いですね」
「あなたこそ」
 ダンッと一歩踏み込むマリーナ。
総司が突きをかわせば、マリーナは横薙ぎにショートソードを振る。
 また、総司は鞘で受け止めた。
止まることなく、また突きが総司を襲う。
 が、それも鞘で受け止めた。
「おかしいわね」
「なにがですか?」
「どうして、刀を抜かないの?」
 マリーナは、戦術を変えた。
変則的なマリーナの剣。
 逆手に上から振り下ろし、順手に持ち直すと共に、突きを入れる。
かわされると同時に横薙ぎにふり、逆手に持ち直して、総司の懐に入る。
 が、その前に総司が退いた。
「どうしたの?逃げてばっかりで」
 総司は、何も言わない。
マリーナは、言葉を続けた。
「殺して欲しいんじゃなかった?」
「殺して欲しいんじゃないんです。死にたいだけで」
「同じじゃない」
「違いますよ」
「じゃあ、抜いたら?」
 マリーナは、アゴで刀をさす。
総司が刀を抜くことを、あえてうながす。
「いやですよ」
「どうして?」
総司は、鞘におさめた刀を見た。
「抜けば、あなたを殺してしまいます」
「人殺しが、なにを・・・」
 マリーナは、軽く言い放つ。
あくまで、その目は冷たい。
「人殺しですよ。人斬りと言われても、否定はしません、けど─」
 事実、そうなのだ。
何度も、名前も知らない人間を殺したコトはある。
 けど─
「けど?」
「殺す人間くらい、選びますよ」
「じゃあ、わたしは殺せない人間?」
「そういうコトになりますね」
 微笑む総司。
それを見て、マリーナはショートソードをおさめた。
「ホントのコト、言いましょうか?」
「なに?」
「あなたを殺せば、また、あの人が泣きますから」
 あの人、と言ったのは総司のこだわりだろう。
自分は、名前を呼ぶ資格すらないのだから。
「死にたいのに、殺されない理由は?」
「あなたが人殺しになれば、あなたが罪をかぶってしまうし」
 彼は、言葉をきった。
そして、恥ずかしそうにマリーナから視線を外す。
「それに、あの人が泣きますから」
 微笑みながら、総司は言葉を口にする。
彼の表情に、少しの偽りも見つけられない。
「やっぱり、あなたは・・・」
 マリーナは、総司に近づく。
彼女の表情に、冷たさは見られない。
 彼女は、仮面を脱ぎ捨てたのだ。
そこには、古着屋を経営する、溌剌とした女の子しかいない。
「優しい人ね」
「ためしましたね?わたしを」
 そう言いながら、総司は微笑んでいた。
 マリーナも微笑んだ。
誰もがつられて微笑みそうな笑顔が、二つ、並んだ。

「見つかりました?」
「トラップが見つかった」
 と、ノルは背負っているトラップを見た。
彼は、相変わらず寝息をたてている。
「そっちは?」
「こちらの二人を見つけました」
 と、キットンは後ろをふりかえる。
「お久しぶりです」
 彼の後ろから、少女を背負ったグランが出てきた。
ノルは、彼をみとめて、軽く頭を下げる。
「肝心の総司は見つからないですか」
 キットンは、溜息をついた。
「困ったデシね」
 と、足下のシロも溜息をつく。
「それで、そちらの方は?」
「あぁ、それが・・・」
「この人と、一緒に飲んでたんだよ」
 と、金髪の男がノルの後ろから顔を出した。
彼の前髪が、サラリと流れる。
「そうですか・・・迷惑かけました」
「いえいえ、楽しかったし、それに・・・」
 男は、笑ったまま言葉を続ける。
だが、その言葉は、あまりにも危険を含んでいた。
「こちらにも、好都合でしたからね」
 総司のことで頭のいっぱいだった彼らに。
この言葉の意味は、わからなかった。

「ハァ・・・」
 わたしは、何百回目かの溜息をついた。
昨日、一昨日、さらにその前から合わせれば、おそらく千をゆうに超えるだろう。
 いつまでも、悩むことしかできない。
総司がわたしの前から消えてから、もう、四日が経った。
 それでもわたしは、未だに悩んでいる。
わたしは、なにをやったんだろうか?
 彼を傷つけたのには違いない。
もう、彼に会うことは、ないだろうと思う。
 けど、彼らは─わたしたちの仲間たちは、彼を探している。
探して、いったいなにをするのだろうか?
 事情は、クレイから聞いているのだ。
その上で、彼らはなにをしようとしているのだろうか?
 そして、自分は─
なにをやりたいのだろうか。
 いつもなら、ふっきれているハズの思い。
それが、まだ、残っているのだから─
「パステル」
 急に、声がかかった。
クレイの声だ。
「キットンたち、帰ってきたぞ」
 と、言ったすぐ後。
ぞろぞろと、後ろから部屋に入ってくる彼ら。
 パステルにすれば、ビックリする出来事。
なにせ、人数が増えているのだから。
「ちょっ、ちょっと・・・」
 そう言いながら、顔ぶれを確認する。
中には、トラップもいるし、なぜかグランと、あの少女もいる。
 それに、見知らぬ男が一人。
中に、総司が居ないことに気が付き、なぜかホッと溜息をついた。
─なんでだろ?─
 なぜ、自分はホッとしているのだろか?
自分でもわからない、自分の気持ち。
「へぇ、なぁんだ」
 その中の、金髪の男が、大声を上げた。
自然、視線は彼に集まる。
「ソウジって男は、いないのか」
 その言葉を始めに。
その部屋に、重たい空気が流れ出した。
 総司の名前を知っているのだ、この男は。
総司のコトは、彼ら以外では、マリーナしか知らないハズなのだから。
 その中で、男は。
窓に近寄っていく。
 微笑みを、浮かべながら。
左手で窓を開け、振り向いた。
「自己紹介、しておきますか」
 そう言って、左手で何かを投げた。
一枚のカードが、クレイにあたる。
「はじめまして」
 男は、礼儀正しく一礼する。
金髪が、サラリと流れ、黒い目が、怪しく光る。
「スペードのJ、といいます」


<二十二>─嘘つきと宣戦布告─

「じゃあ、行きましょうか」
「どこに?」
 マリーナは、総司の腕をひっぱる。
それに引きずられながら、総司はマリーナに聞いた。
「パステルたちのとこ」
「じゃあ、行きません」
と、総司はマリーナの腕を振りほどいた。
「どうして?」
「会う資格が、ありません」
 さっきまでの明るい空気が、少しずつ、重くなってくる。
自然、彼らの表情も、少しずつ無に近くなってきた。
「自分が人殺しだから?」
「そうです」
「人殺しの罪の、儚い罰ね」
「かもしれません」
 総司は、目をつぶった。
まぶたの裏に、何を描いているのかは、わからない。
「罪とか罰とか。結局、ただ、一人で決めているだけじゃない」
「そうですよ」
「あなたは、そんなに小さな人間?」
「そうですよ」
 キッパリとこたえる総司。
今は、目を開けて、マリーナを見ている。
「あなたのが自分に下した罰は、なんの償いにもならな・・・」
「それでも!」
 彼にしては珍しく、大声を上げる。
この場に、彼の仲間がいれば、やはり驚くだろう。
 マリーナと同様に。
「彼女が泣くよりは、いくらでもましです」
 自分が叫んだのが信じられない、というふうに、口をなでまわす。
それほど、彼は叫ぶというコトを、やることがほとんどない。
 叫ぶのは、ほとんど他の人任せであったから。
「やめられないの?」
「私は、武士ですから」
「そう・・・」
 総司の強い決心に、マリーナは少し考える。
彼は、絶対にその意志を変えないだろう。
 なら、どうすればいい?
彼らが、また、同じように一緒にいられるには─
「じゃあ、仕方ないわね」
と、マリーナはまた、総司の腕をひっぱる。
「行きませんよ」
と、腕を振り払おうとする総司の腕を、マリーナはさらにひっぱった。
「ちょっ、ちょっと・・・」
「安心して、パステルたちの所には行かないはよ」
「嘘つきは嫌いですよ」
「じゃあ、私のコトは大好きね」
 と、マリーナはさらに腕を引っ張る。
明らかに困惑している総司の表情。
「どこに行くんですか?」
「ドーマに」
「どこですか?そこ」
「わたしの故郷」
「へぇ・・・」
「出発は明日」
「はぁ・・・」
 なら、大丈夫だろう。
 総司は、マリーナの目を見て、そう思った。
「その前に、一つ約束」
「なんですか?」
 立ち止まるマリーナ。
彼らは、もう、通りの中央まで来ている。
「もし、パステルたちが、あなたを許したなら・・・」
 彼らは、歩き出す。
人ごみの中を、かきわけながら。
「彼らの中に戻ってくれる?」
「わかりました」
「私だって・・・」
 マリーナは、総司に目を向けた。
総司は、それを真っ向から向ける。
「嘘つきは嫌いよ」
「わかりました」
 総司は、苦笑いを浮かべる。
闇夜の中、彼らは目指す。
 マリーナの店を。

「スペードのJ(ジャック)・・・」
 クレイは、投げられたカードを拾った。
それには、彼が口にした─スペードのJが、描かれている。
「ふぅん・・・」
 クレイが拾ったカードを、横からグランが覗く。
彼は、少女をベットの上に優しく置いた後、金髪の男─Jに向かった。
 ちなみに、ベットの上には眠っているルーミィと酔ったトラップ、そして、先程ベットに乗せられた少女が眠っている。
「で、あなたはなんなの?」
「パステル・G・キングは、よく知ってると思うけどね」
ビクッと体を震わせるパステル。
「パステル?」
 優しく、彼女を見下ろすノル。
彼女は、それに気付くことなく、ポツリと呟いた。
「わたしを誘拐した、彼らも・・・」
「そっ、あれはダイヤの部隊だけどね」
 男は、軽い調子で言う。
「なんのようですか?」
 クレイは、壁に立てかけてあった剣を手に取った。
その五秒後には、すでに半分抜いている。
「戦いにきたわけじゃないよ。現に、手ぶらだし」
「素手が得手だったら?」
 と、言ったのはグラン。
が、Jは左手を大袈裟に振った。
「だーいじょーぶ。これでも、スペードのソードって言われてるから」
「ソード・・・剣、のコトですね」
キットンが、呟く。
「せーいかーい。さすがキットン族だね。知能が高い」
 そこまで知っている。
それには、全員、とまどいを隠せない。
「まぁ、うちの組織は・・・」
と、男は一々説明を始める。
「トランプの絵柄が部隊で、それぞれ十人ずつ。部隊長は全員Jってなっていてさ。見分けをつけるために、それぞれの得手とする武器で呼ばれるコトがある。
スペードのソード、クローバーのアクス、ハートのランス、そして、この前死んだのが、ダイヤのアダーガ」
 全員が、その説明に耳を傾けている。
いや、それ以外、何もできない、というだけだが。
「その上に、総隊長としてQ(クイーン)、それにA(エース)そして、我らが総長がK(キング)ってわけ。質問は?」
「ありますよ」
 と、言ったのはグラン。
驚いたような表情のJは、それをうながした。
「大事なモノを忘れていますよ」
「なにを?」
「J(ジョーカー)です。まさか、それほどしっかりした組織で、切り札がない、ってのは納得いかないんですけど」
 よくぞ、あの説明を聞いていたモノだ。
全員は、半分感心、半分呆れて、グランを見ていた。
「・・・ばれたらしょうがない。たしかにいるよ。
クレイ・S・アンダーソンは、見ているハズだね」
 そういえば、とクレイは思い出す。
一度、総司がダイヤのJを追いつめた時─
 いきなり、天井から落ちてきたのだ。
「それで、あなたはそれだけの用で来たのかな?」
「いやぁ、まさか・・・」
「じゃあ、なんの用だよ」
 そう言ったのは、トラップ。
彼は、ベットの上で上半身をおこしている。
「トラップ!大丈夫か?」
「あぁ、なんとか・・・」
 とか言いながらも、顔色は悪い。
かなり酔っているようだ。
「用件は・・・謝罪と宣戦布告、それと警告、かな?」
 どういうつながりだろうか?
全員が、頭を悩ませた。
「まず、まったくなんの罪もないあんたを誘拐して、すまなかった」
 いきなり、パステルに頭を下げる。
それには、さすがに慌てたパステル。
「いえ、そんな、誤らなくたって・・・」
 誘拐されたことを謝罪されたのだから、この場合、素直に受け入れるべきである。
が、混乱したパステルは、そこまで考えるコトができない。
「で、宣戦布告。これから、あんたらを巻き込んで、いろいろとやるんで、よろしくな」
 と、笑顔で言われると、なんと言えばいいのかわからない。
この場合、怒るべきなのだろう、が。
 クレイは、もう、剣をおさめている。
「で、最後に警告」
「なんだよ」
 と、言った後、トラップはドアから出ていった。
トイレへ直行、というわけだ。
「ドーマに帰るんだな」
「・・・どうして?」
 クレイは、Jに近づいた。
彼は、少し彼から視線を逸らす。
「たぶん、襲われるよ」
「どういうことだ!」
 襟首をつかもうとしたクレイ。
が、それを左手一本で払いのけられる。
「今回の計画が失敗したんだ。たぶん、ウチは使わないで、クローバーとハートを使ってくるハズだろう。
そして、目標は・・・」
 もったいぶるように、間をおく。
こういうところに、性格が現れているのだ。
「アンダーソン家だろうし」


<二十三>─ドーマへ─

 わたしたちは、その四日後にエベリンを出た。
一日は、ドーマに行くための準備、そして、後の三日は。
 総司を探すために。
けど、結局、彼は見つからなかった。
 いったい、どこに彼は行ったのか、わからない。
結局、あきらめることになった。
 わたしも、忘れるよう、日々努力している。
それと、グランは先にドーマへ向かった。
 彼曰く「一足先に、アンダーソン家へ行ってきます。クレイさんの紹介状があれば、ある程度は信頼されるでしょうし。
あなたたちは、心おきなく、総司さんを探して下さい」
 だと。
それに、クレイはこうこたえた。
「あなたが、関わるコトはないのに・・・」
「いいんですよ。乗りかかった船ですから」
 そう言って、彼はドーマに発った。
あの少女を置いて。

「少しの間だけ、預かっていて下さい」
「どうして、ですか?」
「いえ、ボクが途中で襲われれば、守れませんから」

 少女は、まったく喋ることはない。
いつも、ただボーっとしているだけだ。
 けど、食べるモノは食べる、寝るときは寝る。
言葉を喋れない以外は、全然普通にやっているのだ。
 理由はわからない。
それと、名前がないのはあんまりだから、と。
 グランが、名前をつけていた。
「ディメン、ってつけたんです。いい名前でしょ?」
 それを聞いたとき、トラップがケチをつけたのは言うまでもない。
わたしも、ちょっと口を開きかけたけど、ね。
 まぁ、わたしたちはその名前で呼んでる。
本人も、わかっているらしく、呼ばれたら、こちらを振り向く。
 満月と同じ金色の瞳を、こちらに向けて。

「パステル、乗るぞ」
「うっ、うん」
 クレイの声に、わたしは意識を取り戻した。
そして、わたしは馬車に乗り込む。
 偽りの歴史の一ページに刻まれる大事件の終始を見届けに。
そして、さまざまな思いの交差する。
 血どろみの戦場へと。

「あら、いつ帰ってきてたの?」
「ついさっきだよ」
 椅子の上で、優雅にワインを楽しんでいたQ。
彼女は、部屋には行って来た男を出迎える。
 それは、つい四日前、パステルたちの前に現れたスペードのJ。
彼は、その部屋にあるソファーに腰掛けた。
「いろいろと、ひっかきまわしてきたみたいじゃない」
「黒から聞いたのか?」
「いいえ、ハートの10を使ったわ」
 ワイングラスを回すQ。
彼女は、赤く輝く唇に、グラスを運んだ。
「おまえが自分の兵を動かす、か」
「今度の総指揮権は、わたしにあるのよ」
 Qは、Jの隣に座った。
すかさずHが、肩に手をまわそうとするが、それをQはぴしゃりとおさえる。
「あいっかわらず冷てぇなぁ・・・」
「あら、これでも暖かい女、って言われてるのよ」
「誰からだよ」
「自称」
 高らかに笑うQ。
それを聞き、Jは苦笑いを浮かべる。
「ホント、いつになったら、オレに振り向いてくれるんだ?」
 そう言って、JはQの顎に手をそえる。
それに何の抵抗もしめさないQ。
「いつでしょうね?」
「教えて欲しいな」
顔を近づけるJ。
「知りたい?」
「あぁ」
 さらに、近づけるJ。
あと数センチ、というところで、Qの指が止めた。
「ったく・・・」
 諦めたように、彼はソファーから立ち上がる。
「押しが弱いのね」
「しつこい男は嫌いだろ?」
「相変わらず不幸ね」
 また、高らかに笑うQ。
それを聞き、やはり苦笑いを浮かべるJ。
「最後に」
「なに?」
 ドアノブに左手をかけて、Jは振り向かず、言った。
Qは、ソファーの上で、ワイングラスと戯れている。
「オレは、どうやったら幸せになれる?」
 パリンッ
その台詞と同時に、ワイングラスが割れた。
 Qの手から、血が滴り落ちていく。
流れる血を、手首の所でQはなめていく。
「教えて欲しい?」
「もちろん」
「私を、諦めるコトよ」
何も答えずに、Jは出ていく。
「いつまで鬼ごっこを続ける気かしら」
 Qは、新たなワイングラスをどこからともなく取り出した。
ワイングラスの底に、血が一滴、滴り落ちる。

「なかなか、広いところですね」
「まぁね」
 乗り合い馬車が去っていく。
総司は、刀を片手に、マリーナは、荷物を片手に。
 町の中央の乗り合い馬車乗り場にいた。
彼らは、この日、ドーマに到着した。


<二十四>─二人─

 男はそこにいた。
暗い室内の椅子の上。
 椅子の前にある机に両肘をたてて。
上で指が組まれ、その上にアゴがのせてある。
 何かを考えるように、目をつぶっている。
その奥に隠されている、黒い瞳。
 艶やかな髪は、リーゼントで固めてある。
そして、今、彼は─彼だけが感じる何かを、彼は感じている。
「・・・誰だ!?」
 不意に立ち上がった。
別に、ノックなどされていないし、ましてドアを開けられたワケでもない。
 それでも、その男は感じていた。
当たり前である。
 目の前に、男が立っているのだから。
「はじめまして」
 男はうっすらと笑った。
黒い髪が春風に揺れるように、ウェーブを描いている。
 それに、その暗闇の中でもはっきりとわかる─満月のような瞳。
それが真っ直ぐと、椅子に座っていた男─K(キング)を、見つめている。
「誰だ?」
 Kは、もう一度言う。
今度は、ゆっくりと、呟くように。
 男は、こたえた。
口ではなく、行動で。
 右手をスッと上げた。
黒い手袋を、ゆっくりと取り手のひらを、Kにかざす。
 そのまま、ヒラヒラと手をかえし、Kに見せた。
「・・・おまえが、か」
 それを聞き、男は─グランは、手を下ろした。
グランが手袋をはめているウチに、Kはゆっくりと椅子に腰をかける。
 彼は、わかったのだ。
彼が─グランが、何者なのか。
 なぜわかったのだろう。
さきほどのグランの行為か、そこになく、そこにあった何かか、または、それ以外の何かか。
 それは、彼らだけが知っている。
「なにをしにきた?」
「ちょっと、質問に」
 にこやかにこたえるグラン。
そのまま、彼は次の言葉を口にする。
「あなたは、わかってますか?」
「当然だろう」
 笑うK。
何をわかっているのかは、わからないが。
「おまえが教えたコトだろうが」
 矛盾がおこる会話。
最初にグランは「はじめまして」と言った。
 が、Kは「おまえが教えたコト」と言った。
はじめて会った人間が、いったい何を教えるのだろうか?
「それがわかっているのなら、なぜ・・・」
「おまえは、絶望を見たことがあるか?」
 言葉を遮るK。
そのまま、グランは口を閉じる。
「オレが見るのは、いつも絶望。おまえが見るのは、いつも希望だ。絶望を見ることはないだろな。オレも、希に希望を見る。けど、そんなの百万に一つだし、それもこれもが、くだらないものだ。
本当の希望など、一億に一つにしか過ぎん。
この気持ちがおまえにわかるか!?
いつも希望を見ているおまえに!!」
 ひとしきり叫ぶK。
いつの間にか立ち上がり、身振り手振りでグランを責める。
 そのわりに、まったく息を乱していない。
そして座り、首をうなだれる。 
「絶望を見ました」
 ポツリと呟くグラン。
それを聞き、Kは、はっと顔を上げた。
「だからボクは、見届けようと思います」
「・・・用件は、それだけか?」
「一応、警告に来たんですけど、ね」
グランは、振り返る。
「出ていけ」
 Kが呟いた。
その時には、グランは、いない。
 暗闇の中に、彼一人が残される。
「絶望を、見た、か」
 軽く笑うK。
彼はそのまま、指を組み、ヒジを机にたてて、アゴを乗せる。
 そのまま目をつぶり、静かに感じていた。
彼だけが感じる何かを、彼は感じているのだ。

「ただいまぁ〜」
堂々と、マリーナは玄関から入る。
「マリーナじゃないの!」
 出迎えたのは、若々しい女性。
総司が知る、誰かによく似ている。
「久しぶりね、母さん」
「なに言ってるの。ついこの間あったばっかりじゃない」
「そだっけ?」
「そうよ」
 などと言っているうちに、二人揃ってずかずかと奥に入っていった。
総司は、慌てて二人の後を追う。
「この方は、ひょっとして・・・」
 おそるおそる、総司は声マリーナに声をかけた。
同時に、二人が振り向くので、少し総司はたじろく。
「やっぱり、わかる?」
「トラップさんの、母上ですか?」
「あら、あなた、トラップ知ってるの?」
 と、彼女は総司に近寄る。
また一歩、下がる総司。
「えっ、えぇ」
「あら、それに結構いい男じゃない。どぉ?ウチで働かない?」
「はぁ?」
「ちょっ、ちょっと、母さん」
 慌ててマリーナは引き留める。
内心、ホッとする総司。
 もしかすれば、あの勢いのままに流されたのかも知れないのだ。
「冗談よ、冗談。あっ、でも気が向いたらいつでも言ってね」
「はっ、はぁ・・・」
「総司も、そう易々と返事しない!」
 ピシッと総司の肩を叩くマリーナ。
総司は、とりあえず頷いた。
「そうだ、お昼、まだ?」
「ありがと、もうお腹ぺこぺこなのよ」
 と、マリーナはトラップの母の肩にすがる。
「ちょうどいいわ。あの人たちの食べ残し、全部食べてね」
「あっ、今、ダイエット中だから、総司、お願いね」
「私、ですか?」
 いまいち会話が理解できていない総司。
が、なんとな〜く、わかっている様子。
「じゃっ、とりあえず食堂、行きましょうか」
「はっ、はぁ・・・」
 彼女たちのハイテンションに振り回される総司。
振り回されながらも、彼は、思い出さずにいられない。
 自分にも、同じような会話をした仲間がいたことを─


<二十五>─ドーマ到着─

「それで?」
「はい、ターゲットがアンダーソン邸に来るのが、十日後、クローバーの部隊が揃うのが、おそらく一週間後」
「ターゲットの滞在日数は?」
「最低でも、二日です」
「なら、大丈夫だな」
「えぇ」
 報告を終えたハートのJ。
彼女は、そのまま部屋を立ち去ろうとした、その時。
「入るぞ」
 言葉が早いか、ドアが開くのが早いか。
入ってきたのは、スペードのJ。
「ソードか。いつ帰ってきたんだ?」
少し男っぽいハートのJ─ランスの口調。
「ついさっきだよ」
笑いながら、スペードのJ─ソードはこたえた。
「ちょうどよかった。報告が終わったところだ」
 Kは、立ち上がり、歩み寄る。
前の客を出迎えたときの面影は、少しもない。
「では、私はこれで失礼します」
 と、Kに頭を下げる。
どうやら、彼にだけは言葉遣いが違うらしい。
「もうちょっといたらどうだ?」
「ソード、これから地図を見に行くんだから・・・」
 差し出された左手を、ランスははねのける。
ソードは、すぐに左手を引いた。
「はいはい」
ドアが閉まる前には、ソードはKの前に立っている。
「で、いろいろと余計なコトをしたらしいな」
「んだよ、Qから聞いたのか?」
「黒を使った」
「はっ」
 ソードは、軽く溜息をつき、近くのソファーに腰掛ける。
どうやら、幹部級の部屋には、ソファーが常備されているらしい。
「ここにいると、プライベートってヤツはないらしいな」
「それを覚悟で、だろ?」
「まぁね」
Kは、ソードの隣に座る。
「おまえは・・・」
「なんだ?」
「なにがやりたいんだ?」
「面白いこと」
「的を増やすことが、か?」
「知ってるだろ?」
ソードは、ポツリと呟いた。
「わかってるさ、おまえがどういう男かということくらい」
 Kは、それを聞き取り、こたえた。
お互いが、お互いの顔を見ず、正面の空間を見つめている。
「それで、用件は?」
「おまえが覚えているかどうか、再確認に来ただけだ」
 そう言って、ソードは立ち上がる。
流れるような足運びでドアに近寄り、左手をドアノブにかける。
「Qは・・・」
「それも、知っているさ」
全てを聞く前に、Kはこたえた。
「だから、今回、総指揮を与えたんだな」
 それだけ言うと、ソードはドアを開け、出ていく。
そして、Kは呟いた。
「絶望を見た、か」

「や〜っと着いたか」
トラップは、大きく伸びをする。
「で、どうする?」
クレイは、全員を見回した。
「どうする、って言ったって・・・」
「クレイの家に行くしかありませんしねぇ」
 キットンは、指を立てながら言った。
「グランが先に行ってますから。事情はすぐにわかるでしょうし」
「オレ、家に行って来るは」
 と、トラップはもう、荷物を片手に持っている。
そう、わたしたちはようやく、ドーマに着いた。
 途中、ズールの森でまた、モンスターに襲われて。
どうやら、最近、突然変異のモンスターが増えているらしい。
 わたしたちが会ったのは、またスライム。
と、言っても今度は、いろんなモンスターに化けるスライムだったけど。
 ドッペルスライムによく似ているって、キットンが言っていた。
まぁ、そんなコトもあり、予定より少し遅れたんだけど・・・。
「パステル?」
「えっ?」
 急に呼びかけられて、わたしは後ろを振りむいた。
そこには、心配そうな顔をしているノルがいる。
「どうした?」
「・・・なんにもないよ」
 慌てて作り笑顔を浮かべるが、ノルは何かかんじとったみたい。
けど、それ以上は何も聞いてこないが、ノルの優しさなんだろうね。
「じゃ、オレの家に行くか」
 トラップの姿は、もうどこにもない。
わたしは、少し首をめぐらせた後、クレイの後を追った。


<二十六>─jクイーン─

 いつからだろうか。
 自分が、狂い始めたのに気付き始めたのは。
 自分が、この狂気の愛に蝕まれ始めたのは。
 自分が、この狂気から抜け出せなくなったのは─
あまりにも深く愛しすぎたがために、その全てを受け止めたがために。
 己の信念を曲げることを知らず、ただ、己が信ずる道だけを歩んでいた。
けど─
 後悔したことなどは、一度もない。
それが、自分が決めたことなのだから。
 それが、自分の望みなのだから。
けど─
 その愛が。
それを手に入れるがために犯した罪も。
 それに対する罰も。
その愛のためなら、死すらも恐れない自分に─

「ソード?」
 不意に声をかけられ、顔を上げた。
その勢いでか、腰掛けていた椅子から、体が浮く。
 ランプの明かりだけが輝く室内。
その中にいるのは、男二人。
「Aか・・・」
 ソードは、深く椅子に腰掛けた。
悪い夢を見ていたが如く、全身が汗だくになっている。
「どうしたんだ?」
「いつものコトだ」
 そう、こんなコトはいつものことだ。
いつも、自分に言い聞かせていて、自分を止めようとしても─
 自分に、歯止めがきかない。
「で、おまえみたいな珍客が来るんだ。よっぽどなことなんだろ?」
「いや、他に動けるヤツがいないから、来ただけだ」
「はぁ?」
ソードは、眉をしかめた。
「まず、今回の作戦についてだが・・・」
「あっ、あぁ」
 今回、ソードとAはそれに参加はしていない。
が、彼らにはその一部始終が報告されることになっている。
 いかに彼らが重要な人物か。
それが、よくわかるところだ。
「ターゲットが、十日後に到着する」
「・・・計算通り、だな」
苦笑いを浮かべるソード。
「クローバーのアクスは、直接向こうに向かうそうだ。
黒と一緒にな」
「・・・へぇ」
 途端、ソードの顔が曇る。
それは一瞬のことで、普通の人間には見分けがつかない。
 が、相手はA。
表情を読みとられているコトに気付いていながら、話をうながす。
「それで、最後だが・・・」
「なんだ?」
「Qが、もう、ドーマに到着した」

「おっ?」
 自分の家まであと五十メートルという距離。
実際に、遠くに家を認めることができる。
 が、オレはそこで足を止めた。
 観光客風の女。
一つの大きなバックと、小さなハンドバックが一つ。
 それが、観光客なのだとわかる。
もちろん、それだけで足を止めるオレじゃない。
 問題は、その容姿。
ゆったりと包むようなコートを着ていてもわかる、黄金律と呼ぶに相応しいスタイル。
 美の神と呼んでも相応しい顔。
「ほぇ〜」
 思わず、間抜けな声を出してしまった。
エベリンでさえも、滅多に見かけるコトはないほど。
 ここで声をかけずに、いつかける。
「あのさ」
「なにか?」
 その顔に、見事に一致した声。
全てに恵まれた女が、そこにいるような気がした。
「あんた、観光客だろ?」
「いいえ、ちょっと仕事で来たのよ」
 と、重そうな荷物を地面に下ろす。
大小のバックを地面に下ろすと、ゴトッという固く、低い音が聞こえる。
 長期戦になるのだと、そう思ったのだろう。
「なんの仕事?」
「あら、初対面の人間に、言う義理はないと思うけど?」
「ハハッ、そりゃそうだな」
 ガードが厳しい。
が、もちろん、長期戦は覚悟している。
「じゃ、どこに行こうとしているんだ?」
「アンダーソン家まで、ちょっと」
「はぁ?」
 耳を疑った。
なんという幸運なんだ。
「案内してやろうか?」
「あら、いいのよ。地図は頭の中にたたき込んでいるし」
「他人の行為を無駄にするんじゃねぇよ」
 そう言って、無造作に女のバックを持ち上げる。
自分のバックも肩にかけてあるのを、その時に思い出した。
「それじゃあ、お世話になるは」
「気にするなよ」
 自分の家に帰っていたんだな。
そう、ふと思い出しながらも、気にせずに歩き出した。

「優しいのね」
 得物の入ったハンドバックを片手に、呟いた。
まわりを見回して、自分の頭の中に既存していた地図を、再確認、修正を加える。
 ここからアンダーソン家までの道筋を覚えた後、宿屋に行けばいい。
それで、全て終わりだ。
「懐かしいわね」
 もう一度、呟いた。
「なにかいったか?」
「いいえ、綺麗な町ね、って」
「へへっ、やっぱりそう思うか?」
 トラップ、たしか本名はステア・ブーツ。
まさか、彼に道案内を頼むことになるとは思わなかった。
「ホント、懐かしいわ」
 もう一度、呟いた。
どんなに景色がかわっていようとも、風の香りはかわっていない─


<二十七>─ドーマの休日─

「始まる・・・」
 右手の手袋を外した。
ベットの上で寝ころんでいる彼は、それを天井へと向ける。
 そこにあるそれを、彼はごく当然のように見ている。
焦点はそこに合っているようで、目は虚ろである。
「始まる・・・」
 彼はもう一度繰り返した。
まわりには誰もいない。
 彼は、その一点だけを見つめている。
輝いていたハズの満月の瞳が、虚ろにぼやけている。
「始まる・・・」
 三度目、いや、これは何度目だろうか?
本人も分からない、他に人がいないから、誰にもわからない。
「始まる・・・」
 ただ、呟く。
それが仕事のように。
 それを呟いても。
何もならないことを知っているのに。
「始ま・・・」
 コンコン
彼の言葉を、ノックが遮った。
 即座に、彼は手袋を右手にはめる。
「入っていいかしら?」
「どうぞ?」
 笑顔でこたえる彼。
その瞳に、輝きが戻ってきている。
「グランさん」
「なんですか?アンダーソン夫人」
彼は、ベットから立ち上がり出迎える。
「クレイたちが帰ってきたのよ」
「そうですか」
「それで、あなたも一緒に食事を、と思って・・・」
「いやぁ、先程昼食をとったばかりですから」
 と、彼はお腹をさする。
細い彼の体が、微妙に膨らんでいるのだ。
 得に、腹の部分が。
「クレイさんたちが食べ終わる頃には、そちらに向かいますよ。彼らも、ゆっくり昼食ぐらいとりたいでしょうから」
「そう・・・わかったわ」
 彼女─クレイの母は、ドアを閉めようとする。
が、ドアは閉めず、わずかな隙間から、顔をのぞかせる。
「そうそう」
「なんですか?」
「その、アンダーソン夫人、って呼び方、やめてくれない」
 それを聞き、彼は苦笑いを浮かべた。
自分自身を演じる以上、それをやめるコトはできない。
「親が根付かせたコトですから・・・」
「諦めろってコト?」
「そうです」
「しょうがないわね・・・」
 と、彼女はドアを閉めた。
そしてドア越しに、グランに声をかける。
「ちゃんと後で来てね」
「はい」
 見ていない相手に、手を振るグラン。
彼は、その手から、再び、手袋を外す。
「始まる・・・」
 ベットに寝そべるグラン。
彼はもう一度、同じ体勢に入った。
 変わったことが、一つだけ。
「始まる・・・闇に葬られる歴史が・・・」
 その言葉に、続きが付け加えられたこと。
そして、彼の瞳が、輝きを保っていること。

「へぇ・・・そうなの」
「グランが先に来たこと、無駄にならなかったんですね」
 わたしは、思わず溜息をついた。
キットンは、何やら深く考えているようである。
「そんな話より、ほら。ご飯食べて」
うながすのはクレイのお母さん。
「いただきます」
 と、大きな手を合わせたノル。
彼は、ナイフとフォークを両手に、目の前にある料理を切り始める。
 グランが先に行ってたから、クレイが帰ってくるとわかっていたからだろうね。
この日のメニューは、ミケドリアのサーロインステーキだ。
「で、グランは?」
「昼食ぐらい、ゆっくり食べて、だって」
「優しい心遣いですねぇ・・・」
「ちょっと、こら、ルーミィ」
 と、私は彼女からナイフとフォークを取り上げた。
だって、この子ったら、ナイフとフォークでステーキを挟んで、そのまままるごと口に運んでいるんだもん。
 うわぁ、テーブルの上にステーキソースが・・・。
「なんら?」
 って、そんな顔でみないで・・・。
怒るに怒れないから・・・。
「ところでトラップは?」
「あぁ、あいつは自分の家に行ってるけど・・・」
クレイは口を閉じずに、そのままステーキを口に運んだ。
「それじゃ、ゆっくりこの料理を・・・」
 と、キットンが口を開いた時だ。
わたしたちは、イヤでもそれができなくなった。
 バンッ
ハデに開いたドア。
 初めてあったときと、まったく同じ登場のしかた。
そう、クレイのおじいさまが。
 そこに立っていた。

「ここね・・・」
「あぁ」
「で、ここに何の用なの?」
「別に、興味で来ただけよ」
「あぁ?」
「だって、興味があるじゃない?伝説のクレイ・ジュダの子孫が住む家だなんて」
「まっ、そりゃそうか」
 白い龍の伝説でここに来る人間も。
十人に九人は、必ずここを見に来るはずだ。
「で、これからどこに行くんだ?」
「宿屋に」
「じゃ、案内・・・」
「そこまであなたの好意を受けるワケにはいかないわ」
 次の瞬間、トラップは止まった。
彼は、そのままの状態で、しばらく立ちつくした。
 気が付いたときには─
彼の目の前から、女は消えていた。
 彼が持っていたハズの、彼女の荷物と共に。
「ったく、狐にでも化かされてたのかって・・・」
 誰に出もなく言った後、トラップは歩き出す。
が、ふと、止まった。
「・・・家に、帰るか」
 いつの間にか、足がクレイの家に向かっていたのだ。
彼は、その足を戻して、自分の家へと足を向けた。

「ちょっと、マリーナ、来てくれない?」
「わかった!」
台所にいた彼女は、家の中からの声にこたえた。
「じゃ、総司、後よろしくね」
「押しつけないでくださいよ・・・」
 彼は苦笑いを浮かべる。
刀の変わりに包丁を、隊服の代わりにエプロンを。
 冷たさの変わりに暖かさを持った沖田総司は─
料理を作っていた。
 自分が作った料理が。
誰の口にはいるのかなど、知る由もなく。


<二十八>─彷徨う時間─

「総司!来て!!」
「なんですか?」
 包丁の手を止め、彼はそれをまな板の上に置く。
軽くエプロンで両手を拭いた後、響くのはスリッパの音。
 まさに、主婦の姿。
さらに、本人が女と間違われてもおかしくない顔。
 何も知らない誰かが見れば、彼自身困るだろう。
なにが、とは言わないが。
「どうしたんですか?」
 玄関先。
彼は、ひょっこりと顔を出す。
「あぁ、総司、ちょうどよかった」
 この家全体のお世話役、トラップの母。
彼女は、総司に早口に告げる。
「ご飯、すぐに持ってきて、大至急」
「えっ、えぇ」
 事情が飲み込めないまでも、彼はすぐにそうした。
こういうところの俊敏さは、昔の経験がなせることか。
 ちなみに、今日の昼食はすき焼きもどき。
もどき、というのは、材料的に、少し総司側と違うため、彼が多少の改良を加えたのだ。
 調味料に決定的な違いがなかったのが、せめてもの救いだ。
「さってと・・・」
 両手にふきんを添え、そのまま鍋の取っ手をつかむ。
そのまま、総司は二十人用テーブルまで走る。
 彼が皿まで準備した頃には、人が一人、椅子の上に座っていた。
それには目をくれず、鍋のふたを開けた総司。
 二三回せき込んだ後、総司はその人を見た。
いや、人じゃない。
 そう、総司は思った。
まるで、猫をそのままそっくり人にうつしたような容姿。
 ブルーと白のしましま模様。
─こんな人がいるんだ─
 人じゃない。
そう一度、自分で納得していても、彼はそれを修正した。
「これ・・・」
力のない男の声。
「どうぞ、食べて下さいな」
 言葉が早いか、男の手が早いか。
十分後、鍋の中身は・・・言わずともわかるだろう。

「遅かったわね」
「どこの宿を取っているか、わかりませんでしたので」
 ドーマの中では、最高級の宿屋。
そこに滞在しているのは、Q。
「それで、他のメンバーは?」
「ハートの部隊は、全て集合済みです。それぞれ、別々の宿を取って、それぞれ旅装などをさせてあります」
 Qと一緒にいるのは、若い男。
前髪が両目を見えなくするまで伸びており、そのかわりか、後ろ髪は少し刈り上げ気味になっている。
 金髪に黒目、百七十前後の身長で、ダブッとしたセーターを着込んでいる。
「クローバーの方は?」
「それが・・・クローバーのJだけが来ていません」
「アクスね・・・」
 溜息をつくQ。
あまりにも刺激的すぎる彼女の吐息。
 それでも、男は呼吸ひとつ乱さない。
「作戦実行まで、後だいたい二週間程度ですから・・・」
「明後日までに来てくれればいいんだけどね」
 Qは、立ち上がった。
そのまま、上着を羽織った後、ドアに向かう。
「どちらに?」
「観光よ」
「お供は?」
「いらないわ」
 そのまま、Qは外に出ていく。
後に残された男は、その後に続くように、外へ出た。

彼は、そのすぐ後、クローバーのアクスと共に、ここに帰ってくる─

「話は聞いた」
 それだけを言うと、おじいさんは席に座った。
ちょうど、一番上座の席に。
「厄介なことになりおった・・・」
 そう言って、おじいさんは頭を抱える。
彼は、差し出された水を一口飲むと、わたしたちを見渡した。
「まきこまれたからには、最後までつきあうのだろう?クレイ」
 その視線が、クレイに止まる。
クレイは、無言で、力強く頷いた。
 それを確認し、彼は口を開いた。
わたしたちが、どのような事態にまきこまれているのかを。


<二十九>─ドーマの休日・2─

 最初の事件は、二年前ほどだったそうだ。
当時ロンザ国王都は、現国王の戴冠十周年の記念式典の真っ最中だった。
 城下は祭りで賑わい、宮中は毎日、パーティーが開かれていた。
もちろん、この時は騎士たちも例外でなく、交代制で休暇を取っていた。
 一番、気がゆるんだ最終日。
ロンザ国国家図書館が、襲撃された。
 何百冊もの書物が盗まれ、図書館は荒れに荒らされた。
特に、一番ひどかったのが一番奥にあった『史書』保管室。
 ロンザ国の歩んできた歴史、全てが記されていたそうだ。
奇妙なのはそれだけではなく、まったく関係のない書物まで盗み出されていたコトで、それについては、おそらく本当の目的の物を隠すための、ダミーと予想された。
 しかし、予想できないコトが一つ。
図書館で露出してる壁、床、全てを一度、剣や槍で突いていたことが判明。
 まったく意味のないその行動。
それの真の目的は、結局わからなかったという。
 そして、犯人の唯一の手掛かり。
現場に残された、数十枚のトランプだけだった。

「トランプ?」
「なんのために?」
「それが、相手の中でのコードネームだというコトは、すぐにわかった」

 その後は、もっぱら荒稼ぎしている悪徳商人、貴族などを中心に狙われたそうだ。おそらく、軍資金のタメだと、見られているって。
そして、現場に残されたのはもちろんトランプ。
 ただ、一回目のロンザ国国家図書館の襲撃とは、枚数が違うらしい。
最初は、スペードからハートまでの2からJ、ハートのQ、それにジョーカーの四十二枚、それから、襲撃した人数は四十二人と見られている。
 けどその後、もっぱら見られるカードはダイヤ、ハートの2からJ、それに時折、ジョーカーが見られるくらいだという。
軍の上層部では、それすなわち、最初の襲撃こそが、本命だったと考えられているが、けど、なんのために、図書館襲撃に全力を注ぐのか?
 それだけは、まったく謎であった。

「そして、先日のエベリンの事件じゃ」
 わたしの指が、無意識に動いた。
隣のキットンが、気遣わしそうにわたしを見上げる。
 「大丈夫」と微笑んだつもりだが、今の自分の表情すら、コントロールできそうにもない。
思い出したくないのに、時々、思い出してしまう。
 総司の、最後の言葉─
総司は人を殺した。
 それは事実。
総司は、私を助けるために人を殺した。
 後で、クレイから聞いたコト。
キットンも、最後に見た彼の表情を、忘れられないそうだ。
 己を殺して、戦に出る男の顔を─
「事情聴取をしようにも、十人全員死亡だったからの」
軽く溜息をつくおじいさん。
「ヤツらの服装が、黒装束統一だったコト、カードは、それぞれ各自が持っていたことなど、そういう発見があったのも、一つの進歩だ」
「他に、わかったことはないんですか?」
 キットンを一瞥するおじいさん。
そういえば、キットンはこの前、ドーマに来なかったんだよね。
「ある。ある、が、それは儂ら─正確には、ロンザ国自体にとっては、あまりにも─」
 そこまで言うだけ言って、おじいさんは口を閉じた。
なに?気になる!
「なんなんです?」
キットンに問いただされ、彼は口を開いた。
「おそらくその隊の首領クラスの─ダイヤのJだが・・・」
 その次の言葉。
それは、あまりにも意外事実で。
 そして、全ての発端へと繋がっている。
「失明、しておったのだよ」

「いやぁ、助かった。ごっそさん」
 呆れてモノも言えない、とはまさにこのこと。
総司も、マリーナも、トラップの母も。
 その男を凝視した。
「総司」
 男に気付かれないように、マリーナが総司の手に軽く触れる。
もちろん、声も男に気付かれないように。
「なんですか?」
かえす総司。
「あれ、何人分?」
「三人と半、ぐらいです」
 それを、十分で平らげたこの男。
人間ではない─いや、見た目から人間ではないのだが。
「んじゃ、ごちそうさまでした」
 男は、立ち上がり、玄関に向かう。
自然な流れか、後を追う三人。
「んじゃ、ありがとうございました」
「随分身勝手な人ですね」
「人じゃなくてビシャスよ」
「ビシャス?」
「種族の名前」
 ふぅんと総司は感心した。
自分がいた所とは、随分違うここ。
 まるで、別世界のようだ。
と、本人はいたって脳天気なのだが・・・。
 事態は、思った以上に深刻である。
「お礼もできねぇけど・・・」
「いいんだよ行き倒れを助けるんだから」
「ホント、どうしたらそんなにお腹が減るんですか?」
 呆れたように総司は呟く。
それに、丁寧に返事をするビシャスの男。
「ガイナから、歩いてここまできたからな」
「ガイナ!!」
 マリーナとトラップの母親は、思わず大声を上げる。
おそらく、食料すら持っていなかったのだろう。
 餓死するのが、当然と言うべきか。
「どうして、ここまで?」
「ちょっと、仕事でな」
 どんな仕事だ?
三人の頭の中に、同じ疑問符が浮かぶ。
「んじゃ、お世話になりました」
「ところで、お名前は?」
 丁寧に、マリーナが聞く。
彼女にしては、なんとなく、というコトだったんだろう。
 総司の方も、同じ質問をしようとしていくらいだから。
そして、ビシャスの男は、口を開く。
「アクスだ。よろしくな」


<三十>─ドーマの休日・3─

「失明?」
「正確には・・・両目が潰されていた」
「どうして?」
 まさか、総司が─
私が、そう感じた、その時。
「それは・・・」
「昼食、済みましたか?」
 クレイのおじいさんの言葉を遮り、グランが入ってきた。
いつもの髪のウェーブに加わり、明らかに寝癖がついている髪。
 それでも、瞳の満月は輝いている。
「グラン!」
「お久しぶりです、みなさん」
 ひらひら、と右手を振るグラン。
彼は、開いている席─ノルの隣に腰掛けた。
「それで、話、続きだったんでしょう?」
「いや、いい」
そう言って、おじいさんは席を立つ。
「あら、お食事は・・・」
「後で部屋に持ってきてくれ。軽いヤツでいい」
「わかりました」
 ステーキを手にしたまま、ペコリと頭を下げるお母さん。
わたしたちは何も言わず、彼を見送ることに。
 が、ドアを開けたところで。
おじいさんが、こちらを振り向いた。
「クレイ・・・」
「なんですか?」
「・・・もうすぐ、おまえの父親が帰ってくる」
「えっ!?」
 慌てて立ち上がるクレイ。
その時にはすでに、ドアが閉まった後だった。

「げっ!?」
 これが、人通りの多いエベリンなら、オレは慌てなかったさ。
しかし、ここはドーマ。
 おもいっっっっきり丸見えである。
「おっ、おぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「ったく、こんな所に・・・」
 頭を抱える。
まさに、その状態。
「ここで会ったが百年目!!」
 例の台詞を吐きながら、ズンズンと近寄ってくる。
あぁあぁ、尻尾は膨らんでるし、毛まで逆立ってやがって・・・。
 何をそんなに怒っているんだ?って感じだ。
「見忘れたとは言わせねぇぞ」
「忘れられねぇよ」
「何を言った!貴様!!」
 文句なんざ言ってねぇ。
そう言おうとしたが、こじれそうなので、やめた。
 まわりに、人はいない。
そのかわりに、近くの民家のカーテンが閉まる音が聞こえた。
「今日こそは、逃げられねぇぞ。そっちは乗り物に乗ってねぇし、こっちは腹も減ってないし、疲れてもいない。さぁ、どうする?」
 走って逃げればいい。
こんなヤツに追いかけられるほど、足は遅くねぇし、体力だってあらぁ。
 さらに、こっちは裏道の裏道まで知り尽くしているし・・・。
まぁ、少し、遊んでやっか。
「ところでさ、なんでおまえ、オレたちつけ回してるワケ?」
「それは・・・」
「アクス!!」
 オレの後ろの方から、声が聞こえた。
しかも、このアクスの声を凌駕する声が、だ。
「なにをやっているんです・・・」
 オレをまったくない物とでも思っているように、横を通り過ぎていく。
金髪で、前髪が、目を完全に覆い隠しているが、そのわりに、後ろ髪を刈り上げている。
 目の色はわかんねぇし、表情も読みとれねぇ。
もちろん、オレが感じたことは一つ。
 怪しい。
「いや、オレは、こいつに・・・」
「すみません。僕の仲間が迷惑をかけたみたいで・・・」
 初めて気が付いたような仕草。
の、わりには、かなり丁寧な言葉遣い。
─・・・?─
 その時、心のどっかにひっかかるコトがあった。
いや、心ではない、記憶のどこかに─
 それがなにかは、定かではない。
「いや、気にすんな」
「それでは、僕たちはこれで・・・」
「あぁ、助かったよ」
 その後、二三回アクスが怒鳴る。
が、金髪の男が何事かを呟くと、黙ってどこかに消えていった。
「んだったんだ?いったい」
 二人の後ろ姿を追いかけた後、オレは前を向く。
気が付けば、家は目の前にあった。

「おじいさま」
「入っていいぞ」
 後ろ手でドアを閉めるクレイ。
その目線は、真っ直ぐと祖父に向けられていた。
「なんじゃ?」
「さっきの続きを、聞きに・・・」
「なんのコトだ?」
「隠していらっしゃるんでしょう?」
 祖父は、心の中で舌打ちした。
─やはり、父も父なら子も子だな─
「何を、じゃ?」
「失明した男の話」
「それが?」
「とぼけないでください」
 随分と強気になったもんだな・・・。
修行の成果か、それとも、共にいる仲間たちのおかげか─
「それで、儂が何を隠すのじゃ?」
「・・・あくまでしらばっくれるんですね」
「話すことがないからな」
 溜息をつくクレイ。
誘導尋問は、この祖父に通用しそうもない。
 経験から言って、逆にやられるのがオチだ。
「・・・わかりました」
「何をだ?」
「今は無駄だというコトが」
─今は、か─
 ならば、明日にでも来るのか?
そう思うと、思わず溜息をつきたくなる。
「それじゃあ」
 それ以後は何も言わず、クレイは部屋を出る。
なかなか逞しくなった孫に、喜ぶべきなのだろうか?
 複雑な心境である。
「・・・国王・・・」
 一人の人物が、頭の中に浮かぶ。
現国王ではない、自分が使えた期間の長い、元国王。
「あなたを、お恨みしますぞ」
 机の上に置いてあったバーボンを、ビンのまま飲む。
これは、あの時の自分に対する罰なのだろうか?
 それとも─


 2000年4月16日(日)21時38分〜5月18日(木)21時54分投稿の、誠さんの長編小説「うたかたの風」(3)です。

「うたかたの風(4)」にいく

「誠(PIECE)作の小説の棚」に戻る

「冒険時代」に戻る

ホームに戻る