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2001年10月の日誌へ

これからの時代は11月

2001年11月01日〜2001年11月12日

 ゼミの準備に手一杯で、日誌の記入は完全に停止。実験もほぼ停止。
 神戸レポートについては執筆の方向で検討を進めています。今しばらく。


2001年11月13日

 そんなこんなでゼミ終了。特に何事もなかったといえばなかったけど、それよりも時間が比較的足りなかったのが何より問題かもしれません。前半は完全に予定通りだったんだけど、討論の時間が厳しかった気がします。

 まあ、ともあれ、最大の懸案だったゼミも終わったので、ひとまずサイトの方に着手できるかと思います。週末ごとに色々あるので、なかなか專門的には取りかかれないんですけどね……。


2001年11月14日

 とりあえず特に何もなく一日が過ぎてゆく。

 そういえば、そろそろ運転免許の書き換え……。めんどくさ。


2001年11月15日

 いわゆる15報のあとの報告会というやつで、まあ分かる人にしか分からないと思いますが、何しろ内容がない報告会でした。怒られること覚悟だったんですけど、ボスの機嫌は比較的良かったので、特に何もなく終了。

 それ以外には特に何もなく。というか、材料がなくなったので何も出来ず。原料合成に走りましょう。


2001年11月16日

 工学部のある研究室と交流試合が年2回あるのですが、今日はそれの後半戦。ソフトボールだったのですが、前半は出番がなく、ついつい近くにあったお酒を入れてしまったためにすっかりふらふらで、後半のわたしの出番になるともう全く使い物にならず。口だけが動いて体は全く動かないのがとても悲しかったり。
 そしてその夜は例によってコンパだったんですが、はしゃぎすぎた所為かあっさり寝てしまって、気が付いたら終わってました(遠い目)

 まあ、その後結構面白い話も聴けたから、いいか(爆)


2001年11月17日

 北陸の大学の文化系サークルでは、毎年「芸術交歓祭」というものが開かれます。今年は隣のF県が会場で、研究があったわたしは夜になってからいそいそとF県に向かい、2次会から参加。コンパですけどね(笑)
 着いたとたん、なんだかまったりムード。困ったもんだ。夕食を間違えて食べ過ぎたわたしには、残った食べ物を消費する余裕はあまりなく。痛恨の残飯発生。
 その後はカクテルバーに雪崩れ込んで、変わったカクテルを色々頂く。でも、会費が安かった(苦笑)

 それにしてもF県、案内標識わかりにくすぎ! 例によって迷ってしまいましたとさ(苦笑)


2001年11月18日

 芸術交歓祭2日目、今日はわたしも演奏の出番があるのですが、極端に朝早かった所為があるのかないのか、午前中の演奏はダメダメ。まあ、わたし、午前中はあまり使い物にならないのは確かなんですけどね……。
 寝不足気味だったので大きく空いた休憩時間は昼寝に費やし、午後になってウォームアップを万全にして演奏に望む……つもりだったのですが、ウォームアップしすぎてなんだかバテてるし(涙)。ああ、わたしも年を取ったものです。「老けたなあ」と言われてしまったし(滝涙)
 まあ、そんなこんなでひとまずうちのオケの演奏に望み、課題を残しつつひとまず演奏は終了。もっと冷静にならなければ……。
 そしてオーケストラ合演。わたしは元々パートは用意されていなかったのですが、前日のトランペットパートの協議により急遽出演することに(笑)
 曲目は「スラブ行進曲」。トランペットパート、久々にエンジン全開です。オケをかき消さんばかりの大音量に、みなさん呆然と。目の前にいたファゴットのみなさん、ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。
 でも、これがわたしの合演の全て。6年間の総決算。贊否両論ありましたけどね(苦笑)

 帰りも一般国道で。行きもそうだったんですけどね。途中、名物らしいソースカツ丼を頂く。
 家に帰ってすぐ寝たのですが、これは明日に向けた狙いがあったため。


2001年11月19日

 そう、今日はご存じ、獅子座流星群極大日。その時のために前日は前もって寝ておいて、午前2〜3時の極大時間に備えておいたのです。
 昨日の夜からあまり天候が良くなく、雨交じりの生憎の天気だったのですが、夜遅くなって空が晴れてきたので、チャットを切り上げて大学に向かいました。大学の方が空が暗いのです。
 以下、ある掲示板に書き込んだ内容。

 昨日はチャットをしつつ、家から外に出て星を時々眺めていたのですが、それまで曇りがちだった空がどんどん晴れていくのを見て、「これは大学で見ないと後悔する」とチャットを切り上げて空が暗い大学に向かったのでした。
 けっきょくあのあと大学まで車を走らせ、学部の屋上にこっそり上がって、研究室の友達が来ていたので一緒に天体観測会でした。
 到着したのが2時20分ころで、それから1時間程度見ていたのですが、とても明るい流星がいくつもよぎっていくのを見ることが出来ました。
 それなりの防寒対策をしてきたつもりだったのですが、足の方が寒くて寒くて(苦笑)
 でも、あんなにたくさんの流星を見ることが出来て、幸せです。獅子座のは、もう数十年はあんなには見られないそうです。
 観測は3時半まで続いたのですが、残念ながら雲が出てきて空を覆ってしまったので、それで終了。

 そんなわけで家に帰って数時間寝て、大学に再び。まあ普通に実験して、午後は運転免許更新に。冒険者資格の更新でもいいんですけどね(爆)。わたしの誕生日は今週金曜日。大嘗祭の日。
 免許の書き換えをしたのはいいんですが、写真撮影に失敗した模様。

 なんで顔が非対称で写っているんでしょう?

#ブギーポップが浮かんでいたんでしょうかねえ?

 しくしく。必要なとき以外には絶対人に見せられない免許証の出来上がり……。


2001年11月20日

 日誌といっても別段面白いことが書いてあるわけじゃないので、このページのアクセス数はかなり少ないです。一部の人はご存じかと思いますが、うちのサイトにはアクセス解析が仕込んであるので、どれだけの人がどんなページをご覧になっているかということは、代表的なページに関しては分かってくるわけです。流石にこのページには解析は埋め込んでありませんが、トップページにあります。で、一日どれだけのアクセスがあるかというと、だいたい1から2程度。カウンタは毎日(申し訳ないと思いつつ)20くらいは進んでいるようなので、割合からしたらかなり少ないわけです。で、解析結果を見てみると、インデックス、メインだけ見て帰っていく人がかなり多いようです。更新をかけた日はその更新されたページだけがアクセスが増える傾向にあります。まあ、それはわたしもだいたい似たような動きをするので、おそらく一般的な傾向なのでしょう。だからこそ更新が大事だと、とてもよく言われるわけです。わたしの場合は更新されていなくても掲示板は一通り覗いていくので、それに従うと掲示板のアクセス数も割と多くなって良さそうなものですが、うちでのアクセス数はだいたい一日当たり5程度。それも、わたしがチェックしている分も含めてなので、実際の数はさらに少ないわけです。掲示板への書き込みがとても少ないのもうなずけるわけです。下手したら、1年以上書き込みがない掲示板もうちのサイトにはあります。で、うちのサイトの問題を考えてみると明らかなのですが、意味もなく手を広げてしまったために統一性を持たせることが出来ず、さらに更新もあまりなされていないためになんだかよく分からないサイトだという印象を受けて去ってしまう人が多いのではないかと言うことです。継続的に更新だけを調べてくれる人はまだまだマシな方で、普通は一度見て回ってなんだかよく分からないな、で居なくなってしまうわけです。確かにそれは全くその通りで返す言葉がありません。更新したいと思うのですがページを作る余裕がないのでなかなか更新できないでいます。ネチケットページは計画段階のまま頓挫しているしお薦め本紹介も1冊目で止まっているし元素周期表も超重元素をいくつか書いてあるだけで全く使い物にならないし他の化学分野に至ってはページすら計画頓挫だし音楽室もマーラーの交響曲の歌詞と編成を書いてあるだけでほとんど使い物にならないしお出かけレポートも数年前のものが未完成でほ
(以下欠落)


2001年11月21日

 わたしが内定している会社の人事の人が来て、個別面接がありました。とりあえず、入社してからのことなどを質問しながら遣り取り。今現在急成長している分野の会社で、どんどん社員が増えていて今年の内定者は60人いるとのこと。やっぱり必要とされるところには需要はあるものだなあとしみじみ。
 後輩がそろそろ就職活動が始まっていて、もうプレゼン面接をしてきた人もいるようです。わたしを振り返ってみると最初のプレゼン面接は12月終わりだったと、まだ公開していない日誌に書いてありました。
 まあ人のことはとにかく、早いものだとしみじみ。

 で、その人事の人の話を聞きながら思ったこと。自分で勉強する意欲のない人間が大学に行く必要は全くないと言うこと。大学はあくまでも学問を究めるところであり、友達を作るところではないです。別に大学に関することじゃなくてもいいですが何事かに熱中するためにあるのが大学という機関であり、何となく大学に行って何となく授業にで、自発的にじゃなくゼミに参加して何となく就職する。そういう人間が大学に来る必要はないのです。そういう人間が増えてきたから大学が凋落したのであり、そういう人間に金を使って無理矢理勉強させるくらいならそういう人間をやめさせて我々学究の徒に予算を回して欲しいくらいです。
 少なくとも普通の仕事では自分で考える場面は無数にあるのではないかと思います。そういう訓練をすることが出来るのが大学。

 良くいる「教えて君」にしてもそう。自分で考え、調べることをしない人間は機械とどう違うというのでしょう? それだったらパソコンの方が素直だし間違いなく仕事をするし有能です。これからの人間の仕事はルーティンワークではなくクリエイティブな、考える仕事に特化していくでしょう。それが出来ない人間は、きっとドロップアウトします。

 せっかく情報的に平等に近い社会が訪れたんですから、せめて有効利用したいですね。

 ちなみに。今我々の前にいるパソコン程度の性能で、人類は月に行くことも出来るんです。それを考えると、我々がこのパソコンを使って何をしているか、という自省の念に駆られますね。いつかメールニュースに出ていた話ですけどね。どうでもいい話でした。


2001年11月22日

 うーん。特になんにもない日でした。書きたいことなんか忘れてしまったような気もしますが(苦笑)


2001年11月23日

(少なくとも公式文書上では・笑)今日はわたしの24歳の誕生日でした。で、ほんとなら東京で催されている「ふぁずの電脳茶会」に出席する予定だったのですが、今日は重要なオケの練習が入った上に明日は演奏会本番で直前練習も入ったので泣く泣く参加を断念。
 で、そのオケの練習の会場が某イベント会場として使われる某ホールだったのが何となく笑えたりして。なんでこんなところでネタを作らなきゃいけないんでしょう(苦笑)
 午前中はそんなこんなで練習して、昼休みにお茶開催中の会場にいるトトロさんに電話。会場はそこそこにぎわっている様子で、潮沢さんに繋いでもらって「東京においで」と再三言われて涙。いきたかったよう。
 午後からまだ練習再開で、午後2時過ぎまで。
 すぐに車をD中学校に転送して、引き続き明日の演奏会の練習に参加。「アカデミアブラスアンサンブルOB第1回定期演奏会」は11月24日。ほとんど最後だったのですが、何とか練習には参加でき、明日の打ち合わせも済ませる。
 夕方6時頃、大学に戻って、時間が空いたので東京に電話。お茶会はだいたい終わった頃で、会場にうえだマンさんもいらっしゃっていて、誕生日のお祝いとともに再会を誓う。トトロさんは、例によってたまりんさんとともに会場で寝ていた様子(苦笑)。
 その後後輩と明日の演奏会でする曲の練習をし、終わったのがだいたい8時過ぎ。家に帰って東京の「狂乱の宴」会場に電話すると、電話口から「はっぴーばーすでぇ〜♪」の合唱。うれしはずかしかなし。ああ、東京に行きたかったよう(滝涙)。そして一人一人とご挨拶。「いくつになった!」とか「なんで来ないの!」とか「今度は白衣で」とかトドメは「電話でも総受けなんですね」とか(笑)

 これは悔しいですねえ。また企画すると言うことなので、次回こそは是非是非参加したいものです。なんだかんだ言っても、気の合う人たちとお酒を頂くというのは、とても楽しいことです。今度は冬コミですか?


2001年11月24日

 そんなわけで今日は昨日の日誌にもあるとおり演奏会でした。朝早くから中心部にある某ミッション系の高校(大学もあったかな)のホールをお借りして、まずはゲネプロ。割といい感じで音が出て、なかなか好感触。わたしの出番はほとんど前半だけで、後半の時間に早めに食事を済ませ、会場の準備をして、いよいよ本番。
 ホールには予ベルを出す設備がないそうで、何故か予ベルをわたしがすることに。とっさに出た曲がベートーヴェン作「レオノーレ序曲第3番」トランペットソロ(笑)。いや、ちょっと前に定期演奏会でやった曲なんですけどね。
 きわめて怪しげな演奏ながら順調に曲をこなす。やった曲はウォルトン作曲「スピットファイア」序曲、ガブリエリ作曲「第7旋法のための8声のカンツォン」、クーツィル作曲「金管のための交響曲」。
 後半の予ベルもトランペット。先輩と一緒に、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」からのファンファーレで第2部開始。第2部はあまり出番がなく、アンコールでする「カッコウ笛」の練習に励む(笑)
 最後の曲、ラングフォード作曲「ロンドンの小景」のあとアンコールで「スイス民謠集」から「カッコウ」。これに手笛で「カッコウ」をする。なかなか好評(笑)。最後のアンコールがエルガー作曲「威風堂々第1番」金管バンド版で終了。
 会場に来ていた先輩方と少し話し、写真を撮影し、演奏会は全て終了。家に帰って車を置き、バスで打ち上げ会場に向かう。この団体と縁の深い旅館を借り切って打ち上げを盛大に。と思ったのですが、バスで寝過ごして終点で降りるつもりだったのは良かったものの運転手さんに起こされる羽目に。ああ恥ずかしい。
 打ち上げ会場で先輩方と喋ったり、挨拶を聞いたり。そうこうしている間に夜も更けていくのでありました。


2001年11月25日

 昨日の打ち上げから帰ってきたのは結局朝7時(笑)。というわけでずっと寝てました。

 いや、全部寝てたわけじゃなく、神社にお参り。一応毎年、誕生日に神社を参ることにしていたのですが、今年は色々あっていけなかったのでこの日に。ついでにお守りを新しくしようと思っていたのですが店(?)が閉まっていたのでまた後日。


2001年11月26日

 ふにふに。雑誌選びのために雑誌を読んでいるので何も出来ませんでした(苦笑)

 午前中の間に神社に行き直して、お守りなんかを手に入れてお神籤を引く。「中吉」。いまは上手くいかないかもしれないが、暁が一番暗いと同様今辛抱すれば運も開けてくる、そうです。なるほど。ちょっと励みになります。
 やっぱり、わたしにとって一番頼りにするに足りる神は、H神社におわす神様ですね。来年から近くにこの神社がないところに行くけど、どうしよう?
 やっぱりできるだけその時期に帰ってきて、お参りするのが筋かなあ?


2001年11月27日

 ゼミ。ゼミとセミは似ているような。

 別に他には何もない日。帰るのが遅くなっただけかな。


2001年11月28日

 なんか、朝からかなり凹むことをいわれてショックを受けています。ついでにもう一つ追い討ちがあり、ダメダメ。
 とりあえず雑誌を読むだけ。もういいです。言われたことはもう仕方ないので、別の目標に向かうしかないんです。

 あーあ……。


2001年11月29日

 この辺の日誌は実は後日、纏めて書いていたりするのです。だから何も内容がないんですね。
 たまっていた雑誌の半分は、ようやく片づけることができました。それだけ。


2001年11月30日

 何が、「これからの時代は11月」なのかは知りませんが、何となくそういうタイトルを付けたのが今月の上旬だったんですね。めっきり寒くなりました。

 皇太子妃殿下が出産入院だとかで、今日のニュースはそれでもちきり。いや、どっかの戦争ネタよりはよっぽど聞いていてうれしいんですけどね。

 なんだか誕生月だったのにずっとテンションが低いような気もしますが、今月はこれで。

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